HRM研究会
2016.10.28 準備会合(第3回)
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平成28年10月28日、財団にてHRM研究会準備会合(第3回)を開催した。今回の会合では、「グローバル人財」について淺野昌宏 理事と杉本晴重 理事が報告をした。
1.グローバル人財とは何か(浅野昌宏)
グローバル人財とは何かと問われると、私にとっては、「随分昔から議論してきた事だなあ」との思いがある。私が、総合商社に入社したのは1969年だが、その時点で、それぞれの商社は、それぞれの伝統と経験に基づいて、それぞれのメシのタネとなる社員を研修し、教育していた。
1970-80年代、当時はグローバル化ではなく国際化といっていた
商社は輸出入取引を通じてグローバルなビジネスをやっていた。当時はまだ「グローバル化」という言葉はなく「国際化」といっていた。その国際化の中で、新入社員の研修プログラムは、「語学」、「貿易実務」、「財務・経理」、「審査・法務」の4コースからなっており、この4つの試験に合格しないと、海外出張には出してもらえなかった。駐在に出るにもこの合格が、必須条件だった。
同時に海外語学研修も、フランス語ならパリやリヨン、スペイン語ならメキシコシティ、ポルトガル語ならブラジルのサンパウロかリオ、アラビア語だとカイロやベイルート、ペルシャ語ならイランのテヘランなど、毎年20~30人を、2年間の研修期間で出していた。もちろんMBAコースへの派遣も、当時からあった。これが、私が入社した当時の状況である。
その後、「国際化」が「グローバル化」といわれるようになってからは、社員研修は、更に熱心になった。最近では、マッキンゼーなど欧米の経営コンサルタントの海外拠点に出向させて経験を積ませるようなこともやっている。
これらは、企業が自分の必要とする人財を得るために、自社で採用した社員を育てるやり方であり、高度成長期以降は、大手メーカーでも同じように時間と金を掛けてやっていた。また、90年代位までは雇用の流動性も低く、海外人財の供給源は日本IBMからの転職者や青年海外協力隊(JOCB)など、極めて限られた範囲でしかリクルートできないという背景もあった。
グローバル人財の大衆化
日本の産業がグローバル化を図る2000年代になると、多くの企業がグローバル人財を求めるようになってきた。商社や大企業では、自前で人財を育成し、不足分は他からリクルートしてくる方法を、今でも取っているが、本当にグローバル人財の需要が高まってきたのは中小企業の方であり、こちらは大企業のようにはいかなかった。
中小企業は体力的に、グローバル人財を自社で育成する時間とお金が無く、外からリクルートしてこようとしても、大企業に比べて劣位にある。そのために、グローバル人財を社会に求めるようになり、日本社会として「グローバル人財の量産化」が求められるようになってきた。これは言い換えれば、「グローバル人財の大衆化」が起こったと言える。
そのような社会に対する要求があって、文科省や経産省などでグローバル教育に関する施策が打ち出されてきた。経産省でも同様な施策がとられ、グローバル人財の大衆化をどうしていくかについて、国全体で考えられる様になってきた。
海外でもグローバル人財の議論はあるのか
私が長らく仕事をやってきた欧州や中東・アフリカでは、「グローバル人財」とか、「グローバル人財の育成」といった話を聞いた記憶がない。おそらく、欧州や中東・アフリカでは、ビジネスの意識において、最初から国内と国外の区別がないか、あるいは垣根があっても極めて低いのではないかと思う。欧州諸国にしても、東南アジアの国々にしても、市場として国内のサイズが大きくない為に、ビジネスとは元々グローバルなものとの認識がベースにあるのではないか。欧州は、今はEUになって、人の移動も自由になり垣根を取り去った形になっている。
世界で通用する人財とは
欧州や中東・アフリカではグローバル人財という意識がないと述べたが、それでは、欧州のビジネスマンが全て「グローバル人財」なのだろうか。あるいはグローバル人財であっても、その内容に違いがあるのではないか。これも自分の経験からではあるが、「世界で通用する人財」には、次の三つがあると考えている。
1.国際的経営幹部
グローバルリーダーと呼ばれるに相応しい人達で、全世界を相手にした事業が出来る人達である。多くの企業が育成しようとしている国際的な経営幹部はこれに当たるわけだが、これを育てることは容易ではない。育てる努力をしても、必ずしも育ってくれるとは限らない。例えば、カルロス・ゴーンとか、ソフトバンクの孫正義が一時期後継者に指名したニケシュ・アローラなどがこれに当ると思う。
2.世界水準の技術・技能を持った人
これは専門分野で世界に通用する人財で、世界を股に駆けて、特定分野で腕や技術や技量を発揮できる人達である。例としては、技術者、デザイナー、プログラマー、芸術家、声楽家、スポーツ選手などは、将にこういう人達であるが、企業の中でも、生産管理の専門家、上下水道事業の管理の専門家、鉄道運行管理の専門家などで、その専門分野では世界中どこに持って行っても通用する。これも一つのグローバル人財だろうと思う。
3.メスティックに通用する人
例えば、中東の某国やアフリカ東海岸の地域など、ある特定の国や地域を深掘りして、そこで通用するような人財をいう。現地の言葉、文化、風土、制度などに精通していて、その中で人的ネットワークを構築していく。そういうものを通じて、企業の商品やサービスをその国や地域に浸透させることが出来る人達である。この例として、サムスンが「地域専門家制度」を導入して、中東、アフリカやインドでやって成功している。
国際的経営幹部に必要とされる能力
語学事業だけでなく、企業の人材育成にも関わっているベルリッツは「グローバル人財に必要とされる能力」として、次のモノを上げている。
・利害関係マネジメント、説明力、説得力、リーダーシップなどの「対人能力」。
・適応力、把握力、明快性、コミュニケーション能力などの「表現能力」。
・広範的組織観、モチベーション管理、異文化理解、受容性・寛容性などの「概念能力」。
・生涯学習、リベラルアーツ、論理的思考、政治的知識などの「特質」。
・プレゼンテーション、交渉、コーチングなどの「スキル」。
世界に伍して中核のポジションを取れるようになるには、人財を企業が良く選んで、選んだ人を育てて、若いうちからエリート候補として金を与え、教養を身に付けさせ、権限を与えて鍛えていかないと、インナーサークルに入ってビビらず活動できるような人財は育たない。だから、国際的経営幹部を企業が育てるには、これを真剣にやっていく必要があると思う。
サラリーマンとしてのグローバル人財
企業のサラリーマンとしてのグローバル人財はどうなのか。企業としては、必ずしも国際的経営幹部だけを求めるのではなく、実際に現場で活躍していける人財も必要なわけで、そこで求められるものは企業によって違うはずである。 即ち、個別の企業としては、必ずしもオールマイティな国際的経営人財ではなく、自分の会社にとって必要な人財を育てれば良いはずなので、自分の会社にとって、部門にとって、あるいは本部にとっての最適なグローバル人財とは何かをきちんと定義しておくことが絶対に必要なことである。そのような中で、多種多様な人財がそれぞれレベルアップをして、競争しながらやっていくことだろうと思う。何が必要なのかという定義がきちんとしていれば、あとはやる気のある人が勝手に育ってくるのではないかと思う。
2.日本企業のグローバル化とグローバル人財について(杉本晴重)
日本企業のグローバル化の課題として、社会と企業、個人の問題がある。ここでは企業の問題と個人の問題と相互関係について考察し、グローバル人財の課題整理に供したい。
企業の問題
まずは、企業の問題である。これは私が関係してきた電気機器産業の衰退が、一つの典型的な事例だと思う。
表1 電気機器産業の衰退要因
表2 電気機器産業の教訓と改革
やはり環境変化への対応不全とイノベーションの創出力が低下したことが一番大きな要因だろうと、私は思っている。環境変化への対応不全は、個人の問題ではなくて、日本企業のシステムの問題で、仕組みとか戦略性の欠如、経営層の意志・覚悟、経営スピードの問題とか大企業病等の方が大きいのではないか。
それから、イノベーション創出力の低下は、個々の技術力の低下よりも、事業構想力の低下や様々な技術の融合力と開発スピード不足していた。そして、どのように事業をお金にするかというビジネスモデルの創造不足が主原因と思う。
これらをザックリといってしまうと、企業(特に大企業)の自前主義や文化、風土、経営方針などが大きく左右していたのではないかと、私は思う。
個人の問題
個人の問題、まずは元気のない日本人であるが、これは2000年以降ぐらいか、私がまだ現役だったころ、最近の日本の若い人は、韓国や台湾、中国等の若い人と比べて元気がないとよくいわれていた。どのような印象かというと、一つは、外国企業は若い人の出番が非常に多い。責任と権限の移譲がかなり進んでいる。これはアメリカというよりは、当時だと韓国や台湾などのアジア系の人が多かった。
それから、考えていることが大きい。夢物語ではないが、日本では常識はずれで壮大な話をしている。それを自分がやりたいと、具体的に話す。市場は自国内だけでなく、世界中にあると信じている。これは「只、世界を知らないから」と言う面もあると思うが、「知らない」と言うことほど怖いものは無い。私はアメリカ人との付き合いが多かったが、アメリカ人は自国で売れるものは、世界で売れると思い込んでいる事が非常に多い。
日本で売れないと、日本が異質でおかしいと考えていた節がかなりある。
彼らは自分の想い、構想を代弁ではなく、自分の意見として堂々と遠慮なく発言する。日本では、企業人としてその様な事を言っては失礼なのではないかとか、内弁慶的なところもあって、日本人の性格的な事も起因していて、日本人のグローバル展開においては、厄介な課題だろうと思う。
これは余談であるが、標準化会議などの国際会議で、「いかに中国人やインド人に喋らさずに、日本人に喋らすかが主催者の大きな課題である。」と聞いたことがある。
日本企業でも若手に権限と責任を与えている企業は元気
日本企業でも若手が元気な企業はある。私の経験でも、KDDI特に稲盛さんが経営した後のDDIと、リクルートの人達は非常に元気である。共通点は若手に権限と責任を与えている点で、具体的には新規事業企画や、協業パートナーの選択、交渉などはほとんど若手の20歳台後半から30歳台の人達がやっている。最終決済は当然上がやっていたが、契約交渉や出資などの権限も持っているようであった。
やはり、新市場へ参入している企業、新興の若い企業には、古い文化や悪しき前例がなく、若手が失敗を恐れず、活躍しているケースが非常に多い。まずは日本人にもっと海外経験を通して場馴れが必要である。この前のオリンピックでも、メダルを取った人は、ほとんどが海外で活動している。
グローバル人財
私がグローバル人財とはと定義したのは、「海外市場で外国人と仕事をして、外国人から信用・信頼され認められる人」と私の経験から思っている。逆に言えば、わざわざ日本で「グローバル」と言っているということは、日本人と違う人を認めるという事、つまり日本人とは価値観などが違う人が世界にはいて、その人達をちゃんと認めて一緒に仕事をする。日本人としてではなく、違う人として仕事をする。そして、その人達に認められるという事が、グローバルなのかと思った。
次に要件や資質である。企業が世界市場への発展する時、役職・業務により個人に要求あるいは期待される事が他の場合とは違う。
特に参入したり、起業する時と拡大したり、安定時期で維持すれば良い時とは、当然大分違う。そして、現代は変革時で起業時に近いと認識すべきであるが、実際には安定時の人財はいるが、起業時の人財はなかなかいないし、簡単に育成ができていない。
図1 グローバル人財Aタイプ、Bタイプ
グローバル人財A
グローバル人財Aという人が、元々、グローバル人財として待望されているのではないか。起業や海外市場への参入を図り、積極的に自身で事業・市場開拓を進めることが期待されている人達である。
グローバル人財B
グローバル人財Bであるが、ある程度海外進出が進んでくると、現地で実務をちゃんと実行していく事が必要になる。その仕事面でのプロフェッショナルはグローバル人財Bと呼び、当然現地でも増強されるので、専門性に加えて、日本と異なる環境でも人々と協力して生活や仕事ができる能力が必要となる。語学力は、仕事に関しては非常に重要だと思う。
企業教育とグローバル人財
グローバル人財Aの方の人が本来もっと欲しいし、育成しなければいけないのかと思う。企業・社会とグローバル人財という目で見ると、グローバル人財Bという人は、たぶん育成できると思う。しかし、Aタイプの育成はなかなか難しい。
余談でちょっと違う観点かもしれないが、ある企業賞を受賞した新興ソフト会社の経営層の話で、近年、会社内が元気に活発になって業績が良くなった。何をやったかと言うと、新入社員の採用学校数を一桁から数十校に増やした。方法としては、単に入社選考過程で、出身校を選考者に一切見せないようにした。そうしたら結果的に、色々な学校から人が集まった。そうしたら、その会社が元気になったそうである。
(参考書籍)「日本的グローバル化経営実践のすすめ」㈱芙蓉書房出版