連載:中東 アラブのお話し
(2015.7.15)
(第5回) 何故ベールを被るのか
理事 淺野 昌宏
近年欧州ではベールの着用をめぐって騒動がおきています。イスラムの世界では、女性はベール(ヒジャーブ)を被ることが、文化としてあるいは、一つの社会通念として存在します。これは、イスラムの教義から来ているのですが、欧州だけではなくヒジャーブの本場中東でも聖典をどう解釈するかで主張も大きくことなっています。
聖典に何と書かれているのか
コーラン24章31節に「信者の女たちに言え、かの女らの視線を低うし貞節を守れ、外に現れるもののほかは、かの女らの美を目だたせてはならぬ。それからヴェイルをその胸の上にたれよ」(三田了一訳)と書かれています。これをどう解釈・理解するかで考え方が大きく違ってきます。詳細は省きますが「外に現れるもの」とは「衣服の外側。それ以外のものは目立たせてはならぬ」と厳しく解釈する学派と「顔と手、及び日常つけているアクセサリーは除外される」と解釈する学派に二分されます。サウジアラビアやカタールなどの国では、前者の立場で服装規定が作られ施行されています。女性は、ゆったりとした長衣を衣服の上にまとう事が求められるわけです。
イスラム教徒が支配的な社会の多くでは、ヒジャーブは一つの「しるし」と考えられます。ヒジャーブを着用している者は「ちゃんとした女の人」で、日本のサラリーマンのネクタイのように着用者は社会的規範を尊重し信用に値すると見てもらう事が出来ます。しかし、世界中のイスラム教徒を見た時には、多くは覆うか覆わないかは個人の自由選択となって来ているようです。
1970年代のリビアでは
私が4年間暮らしたリビアのトリポリでは、女性は外出する時は皆、真っ白なシーツを頭からすっぽり被り片目だけ出していました。西のキレナイカ(ベンガジ以西)では黒いシーツ、南のフェザーンでは赤・青・黄などのストライプのシーツと部族で違っていました。着脱の瞬間は見ていませんが、一枚の布で自分自身をすっぽり包み込み、いくら歩いても着崩れないのですから、実に見事なものです。外から見えるのは、片目と踵が2㎝程だけでした。
そのような社会規範の下では、女性のファッション誌などは街中何処にもなく、日本から送られてくる新聞も、スポーツ面では相撲の力士の写真は真っ黒に塗りつぶされていました。勿論、いたずらではなく税関職員がワイセツと判断して黒ペンで塗りつぶしているのです。文化に根差す社会通念や社会規範はなかなか変わり難いもののようです。