連載:Africa
(2014.1.15)
(第4回) 耕して天に至る
-若者の雇用を創出し、治安が良くなる-
研究員 淺野 昌宏
陸路ルワンダへ
国境を越えたとたん、景色が一変した。国道の右も左も山のてっぺん迄、段々畑が続いている。ウガンダの延々と続く牧草地帯を走ってきて、国境を越えてルワンダに入ったとたんに「耕して天に至る」になったのである。(李鴻章の詩は「これ貧なり、これ勤なり」と続くが)
時は、1996年9月、あの凄惨なジェノサイドが終息して2年、狂気は去り、人々は心に傷を抱えながらも、以前の暮らしに戻っているように思われた。
百日間で死者100万人
ルワンダの大虐殺(ジェノサイド)は1994年4月6日、ハビャリマナ大統領の搭乗機がキガリ空港着陸直前にミサイル攻撃を受け墜落・死亡した事に端を発し、反政府のルワンダ愛国戦線が同国を制圧する7月迄の百日間続いた。フツ族出身の大統領が暗殺された事で、フツ過激派によるジェノサイドが大統領の出身地で始まり、それが全土に広がり終息までにツチ族およびフツ族穏健派の死者は百万人にのぼったと言われている。
1990年初め、フツ系(人口の8割)政権と、ツチ系(2割)難民からなるルワンダ愛国戦線の間で、数年に亘る紛争が続いていた。1993年末に両者の間でアルーシャ協定が結ばれ小康状態だった時に、この大統領暗殺事件が起こり事件の引き金となった。
西欧列強の植民地政策の罪
アフリカには多様な人種・部族がいるが、歴史的に長い間、上手く住み分けて秩序が保たれてきた。しかし、西欧列強がアフリカを植民地にして以降、起きた紛争のほとんどはその植民地政策が原因となっていると言わざるを得ない。ルワンダでは、ベルギーが少数派のツチを優遇し中間支配層として使い、8割を占めるフツとの間を隔てる政策をとった。しかし、アフリカの独立機運が高まってくると、ベルギーは逆に世界の潮流に従い多数派のフツを支持する様になり、ここにツチとフツの不安定化の要因を作ってしまった。
ルワンダは中部アフリカに位置する。コンゴ、ウガンダ、ケニア、タンザニア、ブルンジに囲まれている。
IT 立国として「耕して天に至る」
このジェノサイドの原因については、歴史的要因(植民地政策)、若者の失業率の増加、人口増加による土地問題、食糧不足、政権のツチ敵視政策、フツ過激派の存在、ルアンダ宗教界の関与などがあげられている。しかし、私が現地で聞いた「若者達の間に蔓延した閉塞感」、これが狂気の連鎖を作りだした大きな要因ではなかったかと思われる。ツチもフツも伝統的に、遺産(土地)を子供に等分に相続する制度だったそうで、勤勉に天に届くまで畑を切り開いて行っても、追いつかなかったようだ。結果としジェノサイドの起こった時点で、若者達の閉塞感は沸騰点に達していたと考えられる。現カガメ政権は、この十数年、若者の雇用創出にウエイトを置き、経済政策が効果をあげ、治安も良く、アフリカの奇跡とも呼ばれるほどになっている。又、IT立国を目指し、ITの普及・整備に力を注いでいる。別の意味で、「耕して天に至る」であって欲しいと願っている。