グローバル研究会(世界経済の動向調査)
2014.7.1 クローバル研究会 (第2回)
グローバル研究会のメンバーの互選で座長に前田光幸氏を選出した。
前田光幸が「グローバル時代の『人財像』ほか」について、淺野昌宏が「『世界経済動向調査』基本的知識」について、大橋克已が「国際化指標(経済産業省)」ついて、小平和一朗が「グローバル化現象とは何か」につてなどの報告があり、個別に意見交換をした。
<議事録>(657KB)
海外勤務の経験から人財像をまとめた
グローバルの要件、約40年間グローバルなビジネスを東燃でやってきた。東燃は株式保有の半分が外資という環境で仕事に取り組んできた。海外勤務もあった。その経験から、人財像をまとめた。
要件は3つあって、ある程度はこういう要素が必要である。
一つは、アイデンティティ、自分は何者かを知っている人は余りいないが、できれば自分の価値観をしっかり持った人が良い。
2つ目は、日本人の中だけで仕事をする訳でないので、コミュニケーション能力がいる。語学力だけではなく、意思疎通ができることだ。
3つ目は、自分と彼らの持っている傾向を理解した上で、海外にいる時の順応性が求められる。
「日本の農民は、農機具などを作れるクラフトマンでもあった」
と報告する座長の前田光幸研究員。
百姓は農民であると同時に工人(クラフトマン)である
日本は素晴らしい国だと思っている。日本人の倫理観は、神道とか、仏教とか、儒教とか根底にある。自然感は、人間は自然の一部である、自然と一体、あるいは自然と共に持続的な生活そのものを大事にしたい。労働観、アジアの国々とは違って勤勉、一所懸命やって、よいコメや良い野菜をつくる。
農業は色々なものを育むわけであるが、百姓は農民であると同時に工人、クラフトマンであるので、自分で道具をつくる。このような本性をもつ。農耕社会、協調、和、きづな、信頼がある。
日本人の特性を持った人間に対して「日本人だな」、お世辞で「サムライだな」と言ってくれる。
日本は基本的に農村社会、他人が何をしているかを分かりあっている
それに対して、欧米人、ヨーロッパと北米、欧米の倫理観、宗教観は一神教で砂漠の宗教であるので激しい。労働感としては、良いものがあると自分で造るのではなく、奪いたがる。日本人は作りたがるが、彼らは奪いたがる。そういうものを本性として持っている。社会感、これは相手は敵、敵は信用できないので契約でがんじがらめにするという倫理感がある。
日本は基本的に農村社会であるので、他人が何をしているかを基本的には、分かりあってあっていて、主語もいらない。場合によっては言葉もいらないという中で2000年きたわけで、従ってバックグランドの異なる人間との意思疎通に慣れていない。言わなくても仕事の進め方はこうだという暗黙知の了解がある。
欧米人、物事を形式知化する、標準化する、どこに行っても自分の主張を明確にできる
世界に出ると誰が、何をどうしようとしているのか言わないといけない。何をするにも、明言しないといけない。日本では色々ことをやろうとするときに、意見が違っていても論争をしたがらない。特に役員会はそうである。どのような場であっても、論議を戦わすことをしないし、戦わすことに慣れていない。なぜならば、相手の言うことを否定した時、相手は人格を否定されたと思う。自分もそうであるから、相手も言わない。激しい論争はしない。これは世界に出ると根本的に間違っている。言うとまるで相手の人格を否定されたと捉えるのは、外国に行った場合にはまずい。
欧米人は違う人たちの集まり、利害の全くことなる人たちの集まりなので、自分と他人との区別が明確にある。従って、物事を形式知化する。標準化することがうまい。
彼らは世界のどこに行っても同じスタイルで、自分の主張を明確にできる。
江戸は世界に誇れる循環型持続社会が出来ていた
明治時代は、江戸時代を否定した。戦後は、日本の全てを否定した。自分で、もう一度探さなければならない。日本人であれば、それぞれが世界観、倫理感、宗教観を持っている。確固たるものになっていないため、自分を自分で否定したがる。それがリベラルだと思っている。
2番目は簡単で「主語を明確にした会話をする」ことだ。論争は、相手の人格を否定することではないことを、お互いに分かり合いたい。
3番目はしんどい。日本の同質社会の中でやっているので、異質なひとが集まり、色々な意見が出る中にいるのはしんどい。しんどいが、慣れないといけない。そういう人財は、日本人だな、サムライだなとなる。
明治が否定した江戸時代がどういう時代であったか。江戸の街には120万人が住んでいて、世界最大の都市にしてクリーンであったといわれている。循環型で持続社会。19:35
ロンドンは20万人程度、ニューヨークはそれ以上少なかった。循環型持続社会が出来ていた。上水道システム、神田上水、玉川上水、これは隅田川あたりまで、南は品川当たりまで、これは地下を木で作った1m四方の水道管が網目のように作られた。江戸は井戸を掘っても塩水しか出ない。水道管があって、4,5mの木の桶をいれた。水を高低差でやった。
玉川上水は今の羽村あたりから取っている。羽村の水位が下がるとチョロチョロになる。日本橋あたりには水が来ない。水を待っているから「井戸端会議」という。という話である。江戸市中を網羅していた。木で作った船で水を運んでいた水船もあった。
(一部省略)
これは、私の仮説であるが、「日本の農村社会の共同体があって初めて大江戸ができた」と思っている。
農業は循環システムそのものである。自然があって、水があって、いろいろ生態系があって、森と漁業が繋がっていて、その中に氏神様がいて、祭りがある。
必要になったら、自分たちが駆り出されて河の修理をするとか、治水をするとかで、自分たち対応していた。号令を掛ける人もいたのだろう。
江戸の町、治安は良かった
百万都市の治安を預かったのは、わずか数百名の北町、南町の奉行所であった。後は、「岡っ引」を雇った。岡っ引は、半分グレた顔役であった。非常に犯罪は少なかった。勉強をした。当時の日本は世界で、識字率が一番高かったと思われる。いろいろな文化が栄えた。
明治時代、戦後の我々が余り評価しない江戸時代、もう一度、戻ろうではないか。3Rとか、循環型社会とか良く言っているが、もう一度戻ろうではないか。江戸はそうであった。
江戸の上水道システムは、余りにも広いエリアをカバーできたものであるから、人間が住むエリアが急速に広がった。こんな広い都市は世界に無かったと思われる。山手線の南半分と隅田川の全域。広かった。だから明治時代に鉄道が発達した。山の手線は、大正初期か。街が広がったから、鉄道システムは必要になった。
世界に誇れる日本の文化、歴史、背景を確認する
日本人は、違うことを考えている人、違う雰囲気の人を嫌う傾向にある。逆に、追求心とか、探求心とか、好奇心は旺盛である。良いものは取り入れる。
欧米人は、相手は違うということが前提で接する。それから自分の主張を強く主張する。それから相手を支配したがる。
日本人が世界で通用する、彼は立派であるという人間であるためにはどうするか、倫理感を変える必要は無いが、戦後生まれは、倫理教育を受けてこなかった。親も何も言わなかった。戦争に負けた直後だったので、言わなかった。従ってアメリカカブレになってしまった。中学、高校時代特に、音楽にしても、映画にしても、ファッションにしてもアメリカ文化であった。
従って自分で勉強するしかない。学校では、教えないので、自分で勉強して、いろいろ考え、再確認していく。再確認とは、日本の文化なり、歴史なり、背景なりを自分なりに確認しなければならない。教えなくなってしまった。今も中高で本格的に教えている学校はないと思う。
日本型リーダーとアングロ型のリーダーの対比
- コミュニケーション力、意思決定、コンセプト構築力が劣る ―
日本型リーダーとアングロ型のリーダーを比較した。(図1)
価値観、理念、洞察力がリーダーには必要だ。あるいは運営能力、コミュニケーション力、意思決定、コンセプト構築力の7つくらいの項目を入れて比較してみた。
日本の中でやるには問題が無いが、外でやるには図1の左側の3つをしっかりとやらなければならない。
図1 日本型、アングロアメリカン(AA)型、あるべき日本型リーダー像
【質疑】
江戸の商人、コンセプト構築力やコミュニケーション力があった
淺野:今のコミュニケーション力とコンセプト構築力が日本人は劣ると言うが、現状を見ればそうだと思うが、戦後になって出来たサラリーマンが日本型にイメージされている。しかし、商人は、明治、大正、昭和の戦前、コンセプト構築力やコミュニケーション力は、AA型と遜色が無い位あった。
小平:江戸の商人の評価をしても面白い。
前田:成功している商人は、コンセプト構築力を含めてしっかりしていた。
大橋:江戸は政治都市で、栄えた理由は3勤交代であった。あの制度がある事で地方との交流が盛んになった。サイクルがあった。地方との交流ができた。情報も流通した。コミュニケーション力、意思決定、コンセプト構築力の3つが劣るのは、登用制度が公式に無かったからだと思う。韓国は中国の真似をして、科挙という登用制度があった。政治の世界での人財の登用制度がないので、家が潰れるまでは改革が出来なかった。江戸末期も、借金で身動きが取れなくなって改革が生まれた。商人の世界は、浮き沈みがあって、実力で評価しなければならなくなっている。
前田:科挙に登用され偉くなったら、その人、一代で財を成そうとする。賄賂を贈る。賄賂社会になる弊害がでるが、社会改革に科挙という制度は有効だと考える。
「当時の江戸は政治都市で3勤交代で日本の交流が盛んになって栄えた」
と話す大橋克己研究員(左)、右は淺野昌宏研究員。
江戸時代の日本は、独自文化で進化していた
淺野:続日本記』を読んでいる。どこで飢饉があった。税の免除をしたことなどがきちんとかかれている。700年から800年頃のことがきっちり書かれている。その間、行政という組織がきちんとしていて、人事の発令、登用、全部記録されている。今から1500数年前にすでにその制度を取り入れていた。
大橋:江戸期は、日本は豊かになったと思う。200年の鎖国の時代、海外から入って来たものが、和風に変わって発展してきたと言える。明治の初期の人達のマインドは、江戸文化である。庶民の中には。中国文化も入ったが、鎖国で日本独自の文化が出来上がった。
前田:戦国時代とか、室町時代とかは、ヨーロッパのような状態であった。殺し合い、裏切り合い。勘兵衛の世界である。あの時代は異質であった。江戸は停滞したかと言うと、停滞していなくて、今でいう科学も発達したし、明治初年に何十人という岩倉使節団がヨーロッパに行って、「たった50年の遅れであったと」「よかった」と、「取り返せる」と感じて帰ってきた。現実に50年で取り返してしまった。南北戦争の頃に武器が変わっている。「南北戦争でなぜあんなに死んだのか」と職場にいた退役軍人に聞いたことがある。「当時の戦争の仕方はナポレオン戦争と同じような戦い方をした。弾は滅多に当たらないと思って隊列を組んでいった」といた。丸い弾だし、当たってもたいしたことは無かった。ところが銃が進化したので、ばたばた倒れた。欧米が軍事で強くなったのは、明治維新のたかだか数十年前であった。日本には当時、蒸気機関は無かったが、結構文明的素地はあった。